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世界を襲ったスペイン風邪

2021.2.14

新型コロナウイルス発生から1年

 中国の湖南省武漢で新型コロナウイルスの感染が最初に確認されてから1年ほどが経ちました。現在、世界各国の感染者数は1億⼈を超え、死者数は230万⼈に上ります。いまだ収束の兆しが⾒えない中、このパンデミックに対する不安と緊張は世界中でまだまだ続きそうです。

 感染症は過去何度もわれわれ⼈類に多⼤な影響を及ぼすパンデミックを引き起こしてきました。今回はその中でも最⼤の悲劇とまでいわれる「スペイン⾵邪」の⼤流⾏を取り上げ、いま私たちが直⾯している危機と⽐べてみたいと思います。

100年前のスペイン⾵邪 感染者6億⼈、死者5000万⼈

 スペイン⾵邪(スパニッシュ・インフルエンザ)は今から約100年前の1918年から1920年にかけて世界中でパンデミックを引き起こした感染症です。

 ちょうどその頃世界では、1914年6⽉に起きたサラエボ事件に端を発する第⼀次世界⼤戦の最中であり、世界全体を巻き込んで900万∼1600万⼈の戦死者を出しています。スペイン⾵邪はその裏で6億⼈に感染し、実に2000万⼈から5000万⼈という、⼤戦をはるかに上回る死者を出していますが、世界の関⼼が⼤戦に向いていたためか、パンデミックを記録した⽂献はそれほど多くは残っていません。それでも当時の世界⼈⼝は約18億⼈ですから、⼈類の約3分の1がこの病気の脅威にさらされていたことになり、その影響はすさまじいものであったと考えられます。

⿃から豚、豚から⼈へ ⼤戦を通じて世界各地へ

 スペイン⾵邪の発⽣地には諸説がありはっきりしませんが、そのひとつとしてアメリカ、カンザス州ファンストン基地(現フォート・ライリー陸軍基地)があります。1918年3⽉4⽇、同基地で発熱や頭痛などの体調不良を訴える兵⼠が続出。発病した兵⼠は豚舎の清掃担当だったため、豚からの感染が疑われました。また、この基地周辺はカナダ鴈の越冬地でもあり、鴈から豚、豚から⼈へと感染したと⾒られています。1,000⼈以上が感染し、48⼈が死亡しましたが、この時点ではただの肺炎として処理されたようです。

 3⽉4⽇に最初のスペイン⾵邪らしき症状が確認されてから1週間後、ニューヨークでも同様の患者が現れ、さらに同年8⽉までに、ヴァージニア州の各基地でも患者が確認され始めます。また、⽶国の欧州戦線参戦によりヨーロッパに次々と送り込まれる⽶兵の中には感染者が潜んでおり、5∼6⽉にかけてヨーロッパ全域へと広まっていきます。

 夏頃になると⼀旦は収まりかけたように⾒えたスペイン⾵邪でしたが、変異種の登場により第⼆波が始まります。流⾏はアフリカのシエラレオネのフリータウン、フランスのブレスト、そしてアメリカ、マサチューセッツ州のボストンという互いに数千キロも離れた3か所の港町で、同時に始まります。そして港から港へ、さらに鉄道や河川に沿ってアフリカ⼤陸全域へとスペイン⾵邪は広まっていきました。

⽇本上陸、数か⽉で医療崩壊 ⽇本⼈の半数が感染

 ⽇本では、アメリカで流⾏が始まった1918年4⽉頃、台湾巡業中だった⼒⼠が感染し、三⼈が亡くなり、ほか数名が⼊院するという事件が発⽣します。その後、感染者は⼒⼠を中⼼に広がり、休場する⼒⼠が続出。当時は⼒⼠を「⾓⼒」と表記していたことから、世間では「⾓⼒⾵邪」という俗称で知られるようになります。

 そしてその半年後の10⽉、変異によって毒性の強まったスペイン⾵邪がついに⽇本に上陸。軍隊や学校を中⼼に⼤流⾏し、わずか数か⽉で医療崩壊を引き起こします。このパンデミックは⻑く続き、翌年1919年9⽉頃にようやく終息の兆しが⾒えたかと思うと、12⽉に⼊り今度は第⼆波が始まります。当時は1918年10⽉に始まる第⼀波を「前流⾏」、翌1919年12⽉から始まる第⼆波を「後流⾏」と呼んで区別しました。「前流⾏」では⾼い罹患率と⽐較的低い死亡率、「後流⾏」では低い罹患率と⾼い死亡率といった、症状に若⼲の違いがありました。政府の公式記録(内務省衛⽣局『流⾏性感冒』)によると、「前流⾏」の感染者2116万⼈、死者26万⼈、「後流⾏」の感染者241万⼈、死者12万⼈とされています。感染者累計約2300万⼈、死者累計約38万⼈に及び、当時の⽇本⼈の約半数が感染したことになります。

 各国でマスク着⽤、⼿洗い・うがいの励⾏、ソーシャルディスタンスを保つなど、感染予防策が実施されました。サンフランシスコではすべての市⺠にマスク着⽤を義務付けるマスク着⽤条例が発令され、マスクをしていない⼈を警察が逮捕するといったこともあったようです。

 1921年になるとようやくスペイン⾵邪の脅威は去りましたが、事態が落ち着くのに2年以上もかかったことになります。

繰り返される感染症の流⾏

 感染症の流⾏はスペイン⾵邪ほどではないにせよ、現在に⾄るまで度々発⽣しています。第⼆次世界⼤戦中に⽇本で猛威を振るった結核、1982年に根絶されるまで毎年2000万⼈が感染、およそ400万⼈が死亡していた天然痘、近年中国、インド、インドネシアにおいて急速に感染拡⼤しているエイズ、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、2012年のMERS(中東呼吸器症候群)、2014年に⼤流⾏したエボラ出⾎熱、そして今回の新型コロナウイルスCOVID-19です。

 フランスの経済学者ジャック・アタリ⽒は著書「命の経済」の中で今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは起こるべくして起こったものだと述べ、感染爆発を許した5つの背景を挙げています。第⼀に、医療制度を国の財産ではなく負荷だと⾒なすイデオロギーがあり、医師、病院、物資などが必要⽔準を満たしていなかった。第⼆に、⾦融やデジタル技術の進歩によるグローバリゼーションによって相互依存が進んでいた。第三に、⼈類が⾃⼰満⾜、過信により「悲劇は起こり得る」という感覚を失っていた。第四に、過剰な富、深刻化する貧困、気候変動による被害に代表される利⼰主義、偏狭な視点など、他⼈の考えを受け⼊れない態度が幅を利かすようになっていた。第五に、満⾜のいく衛⽣設備を利⽤できないなど、世界から⾒捨てられた層の存在があった。実際、世界⼈⼝の半分以上の⾷糧は、今回のパンデミックの発⽣源とされる武漢市の⽣鮮市場のように、衛⽣状態の疑わしい市場で販売されているそうです。

アフターコロナの世界 試される⺠主主義と新時代

 さて、新型コロナウイルス感染拡⼤が収束したあとの世界はどうなるのでしょうか。不安な側⾯は、今回のような緊急事態が起こると、各国政府は前例のないほど絶⼤な権⼒を握ることが可能になった点です。中国、韓国、台湾、シンガポールなどの国々は、AIによって可能になったデジタルデバイスを含む、強⼒な監視システムを導⼊し 感染拡⼤の抑制に⼀定の成果をあげています。平時にはこの種の国⺠の監視に全⾯的に反対してきた⺠主主義国家でさえ、国⺠の理解のもと、そのようなシステムを採⽤しつつあります。⼀度採⽤したシステムはパンデミック後も廃⽌されることはきっとないでしょう。

 明るい側⾯もあります。デジタルデバイスの活⽤で私たち⼈類はそれほど物理的に移動しなくてもやっていけるということがわかりました。結果として、⼀層の通信技術の進歩、遠隔医療や遠隔 教育などが中⻑期的に進んでいくでしょう。

 “結局のところ、この危機の最中にわれわれが真っ先に悟るのは、⼤切に扱うべき唯⼀のものは時間だということではないか。時間、それも⼼地 よい時間こそが、本当に希少かつ価値をもつということだ。⽇々の時間は、不安や浅はかなことに 費やすべきではない。個⼈の時間は、健康のために投じる資源を増やすことによって引き延ばすべきだ。学んだり⾃分⾃⾝を⾒出したりするためにより多くの時間を割くこと、つまり、「⾃⼰になる」姿勢を模索することによって、個⼈の時間はこれまで以上に豊かになる。働く時間は、単に稼ぐためでなく、創造的であるべきだ。”

 ─ジャック・アタリ著『命の経済』より

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