TOPICSトピックス
承継は、渡す前に決まる
2026.7.1
事業承継というと、まず頭に浮かぶのは「子に継いでもらえるだろうか」「継ぐ意思はあるだろうか」といった、人をめぐる悩みではないでしょうか。あるいはもっと手前で、自分はいつまで診療を続けるのか、と。
ところが承継の相談の場では、出資持分の評価や納税資金、定款の整備といった技術的な論点が中心になりがちです。どれも避けて通れません。けれども院長先生が本当に気にされているのは、その手前か、あるいはずっと先にある問いではないでしょうか。
渡す側にとっては、いつ診療を手放すか、引いたあと自分はどこにいればいいのか。継ぐ側にとっては、先代とどう距離を取るか、任されたあとどこまで自分の判断で進めていいのか。立場は正反対ですが、突き詰めると、両者は同じ一つの問いに行き着きます。「渡したあとの関係を、どう設計しておくか」です。
なぜ承継はこじれるのか
この6月、経済産業省が「ファミリーガバナンス・ガイダンス」を公表しました。同族企業の事業承継をどう設計するか、という指針です。一見すると大企業や老舗の話に思えますが、日本の企業の9割以上はファミリービジネスだとされ、医療法人にも通じる構造があります。
ガイダンスが指摘する構造は、医療法人にそのまま当てはまります。ファミリービジネスは「家族」「所有」「経営」の三つの要素でできている。開業した当初は、この三つが院長先生お一人の中で一体になっています。出資したのも、経営しているのも、家計を支えているのも、すべて同じ一人です。
ところが時間が経つと、これが少しずつ分かれていきます。配偶者が事務長として運営に関わる。お子さんが勤務医として入ってくる。やがて、誰が法人の意思決定に関わり、誰が日々の経営を担い、誰が後継者として責任を引き受けるのか――その役割が、少しずつ別の人に分かれていきます。この「分離」は、悪いことが起きたから進むのではありません。法人が育ち、家族が増えるという、むしろ喜ばしい過程の中で、自然に進んでいきます。
そして関係が複雑になったところに、承継という節目が訪れる。こじれるのは、誰かが悪いからではなく、一体だったものが分かれた状態で、初めて「誰が何を決めるのか」を問われるからです。問題の正体が人ではなく構造にあると分かると、対処のしかたも変わってきます。
仕組みの前に「合意」がある
ここで多くの方が、定款を見直そう、持分対策を打とう、と「仕組み」から手をつけます。もちろん必要なのですが、ガイダンスはその手前にもう一段あることを示しています。
家族の中の取り決めには、二つの層があります。一つは、理念や方針を文書にした「ソフトな取り決め」。もう一つは、定款の定めや出資持分の扱いに関する取り決めのように、法的な裏づけを持つ「ハードな仕組み」です。後者は実効性が高い反面、いったん定めると動かしにくくなります。だから、どちらをどう使うかは、利点と欠点を見比べて選ぶことになります。
大切なのは順序です。法的な仕組みは、家族の合意を「担保する」道具であって、合意そのものを作る道具ではありません。何のために、どんな形で引き継ぐのか――その方向性を家族で話し合って共有したうえで、それを確実にするために仕組みを使う。土台となる合意がないまま器だけ整えても、いざというときに揺らぎます。順番を取り違えないことが、結果的にいちばんの近道になります。
渡したあとを「一緒に」決める
そのうえで、冒頭の問いに戻ります。渡したあとの関係です。
ガイダンスは、承継後に先代と後継者が「適度な距離感」を保てるよう、先代の役割をあらかじめ決めておくことを勧めています。目を引くのは、そこに「先代への敬意を根底に」という言葉を添えている点です。これは先代に身を引けと迫る話でも、後継者に遠慮を強いる話でもありません。両者が同じテーブルについて、これからの関わり方を一緒に設計しておく、という話です。
たとえば、経営の方針や新たな投資の判断は後継者に委ねる。一方で、地域や医師会との関係など、これまで築いてきたものが活きる場面では、引いたあとも先代が力を貸す。こうした線引きを、感情的な対立が起きる前に、穏やかなうちに決めておく。決めておけるかどうかが、承継のなめらかさを大きく左右します。
まだ承継を考える段階にない先生も、無関係ではありません。分離は気づかないうちに進みます。いま一体に見えていても、土台となる合意を早く整えておくほど、いざその時が来たときの選択肢は広がります。
承継は、持分をどう動かすかという技術論に矮小化されがちです。けれども本当に効いてくるのは、その前後にある対話と合意の設計です。納税資金の手当てや退職金の準備といった財務の備えも、こうした全体像の中に位置づけて初めて、最も大きな効果を生みます。
ご自身の状況に合った設計は、個別の論点にとどまらず、経営全体の中での位置づけまで見渡せる相談相手とともに進めていくのがよいでしょう。立場が渡す側であれ継ぐ側であれ、早めに全体像を描いておくことが、将来の選択肢を広げる鍵になります。
